• とあるシーン

    とあるシーン

    覚えておきたい美しいシーンはたくさんあったのに、もう思い出せないでいる。

  • 寂しさ

    今日の虎に翼。桂場の「正論は見栄や詭弁が混じっていてはダメだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」という台詞がじわじわと効いている。その助けは、その批判は、「自分をそう見せたい」という願望から生まれたものではないか。ツイッターでよく見た仕草であるし、身に覚えもある。では純度の高い正論(言葉)はどこから生まれてくるのだろう。SNSに長い間身を浸していたものだから忘れかけてしまっている。

    お世話になった保育園の先生がひらいた絵本のイベントへ行く。「わたしとあそんで」「もりのなか」「だいくとおにろく」「こすずめのぼうけん」他にもかたつむりやしずくの本などたくさん読んでもらう。「わたしとあそんで」と「もりのなか」は似た雰囲気が漂っていて、そのことを言うと先生は「少し寂しい感じが似てるよね」と言った。たくさん動物が出て賑やかな点でなく、そこはかとなく漂う寂しさを取り上げた先生に子どもを預けることができて良かった。家に帰り今年はじめてのクーラーをつける。

  • あそぼう

    土運び水汲み走る明日には忘れてしまっていることばかり

  • 日記

    新刊の入稿に間に合いそうになかったのでしばらく日記を書いていなかった。新刊を作っているあいだはずっと辛かった。どうしてこんな思いをしてまで本を作っているのだろうと思っていた。好きなものが多すぎて困ると思っていたけれども、気がするだけで実はそんなにないのではないか。無事イベントには間に合いそうだがきちんと色が出ているか不安で仕方がなく、部数を落として発注した。

    本作りが辛かったのは仕事と重なってしまったせいもある。週末二日連続明け方まで作業をしてから胸が詰まったような感じがしていて、本作りを終えて一息つく間もなく仕事を始めたからか今もその感覚が残っている。作業自体は苦ではないが、仕事相手とコミュニケーションを取るのがきつい。他の人の愚痴や蔑ろにしているようなことを聞かされているので、自分もどこかで言われているのだろうなと疑心暗鬼になってしまう。まあでも言われていたとして実際会わないので支障があるわけでもなし、淡々と仕事をするだけかと紙の日記を書きながら思う。オンラインの悪いところといいところ。そしてやはり日記は必要。

    そんな感じでずっと胸が痛かったが、空を見上げたときだけ少しましだった。

    無理しないゆっくりと慣れてゆく馴染んでいく 救いを見つけながら

  • 堆積

    堆積

    上の子が休園日だったので朝から川べりを散歩する。紫陽花が桜並木に沿って咲いていた。はじめて上の子と紫陽花をみにここを訪れたとき、彼女はまだヨタヨタと歩いていた。この街に住みはじめて5回目の梅雨。あちこちに思い出が堆積しはじめている。

    自分を大切にすることは誰かをぞんざいに扱うことではない。

  • 贅沢な人生

    友人とRADIO MAGICへ。大きな音に包まれて幸福感で心が満たされる体験を久しぶりにする。言葉では表せない時間。最後の「世界に一つだけの花」からの「愛は勝つ」で泣きそうになる。ライブ前後は友人と喋り倒す。誰もなにも欲しがっていて、すべては手に入らない。好きなものはたくさんある。なんて贅沢な人生だ。

    なにしようはるかはるかなみちのうえひかりのなかにかえるそのまえ

  • いなかった人

    教え子が芸人さんになっていることを偶然知る。得意だったギターはプロフィールの趣味の欄に散歩と並べて書いてあった。SNSに飛んでみると淡々とした告知のあいだにギターや曲作りの動画も上がっていて、ブレない姿勢に元気をもらう。お笑いと音楽が一緒になったフェスはどんどん増えているし、なにより思春期特有の斜に構えた態度や拗らせの一切ない素直な子だったのできっと売れると思う。売れなくてもしなやかに生きていくと思う。

    それにしてもプロフィールからSNSへ飛び、SNSを見ているうちに動画に誘導され、さらにはnoteも読んでしまいすっかり彼らのことを知ったつもりになってしまっているし、もっと知りたいと思ってしまっている。なんというかシステムがほとんどアイドルで、うっかりお笑いそのものの沼にはまってしまいそう。それでいて出身校や友人などプライベートなことは一切出てこないからすごい。私はいなかった人として遠くから見守ることにする。

    あのときの曲は今でもここにあるのにもう会えない人ばかりだ