言語化

森田真生『かずをはぐくむ』を読んでいる。

“現代の世界は言語に深く依存している。自分の思考や意見は、言葉にしなければ伝わらないものだと思われている。” P134

まったく別の文脈であるが、昨日の日記に書いた、先鋭化を続ける「わたし」と関連があるような気がして付箋を貼る。

“情報技術が急速に進歩していくなかで、僕たちのコミュニケーションはますますオンラインに移行しつつある。パンデミック以降この流れは加速し、会議や講義などもオンラインで開かれることが多くなった。言葉を交換する上ではSNSやウェブ会議サービスは便利だが、問題は、頬の色の変化や、視線や指先の細かな動き、ちょっとした間合いや沈黙などの言葉にならない表現が、ごっそり削ぎ落とされてしまうことである。そんな奇妙なコミュニケーションを重ねて、僕たちは本当に何かをわかり合えるのだろうか。” P135

「言語化」が大手を振る現在の空気の、要因の一つが「リアルな関わりの希薄化」であるという点が腑に落ちる。コミュニケーションが不得手で、正直コロナ禍においてもリアルな関わりバンザイ!とはならなかった自分には思い当たるところがあった。

「言語化」「言葉」「書くこと」だけが正義のような空気への違和感、リアルな関わりへの忌避。どちらともつかない自分。

自分のことを、自分のために書く。ただ日記を書く人でいたいという気持ちは日に日に増す。そしてそんなただ日記を書いているだけの人の本を手に取ってくれる人へのありがたみも日に日に増す。

危なかった。日記に意味を持たせるところだった。いつだってありたいのは、個人サイトに日記を書いていた、中学生の頃の、あの感じだ。