上の子の幼稚園の個人懇談へ。別室で順番を待ちながら、壁一面に並んだ絵本を眺める。先日、人形劇で観た「かさじぞう」を手に取ってみる。あの日、おじいさんの人形がお地蔵さんに一体ずつ笠をかぶせてゆくのを、子どもたちは息を呑むようにしてじっと見つめていた。
そのとき、文章は、本は果たして「遅いツール」なのだろうかと考えたことをふと思い出す。何分もかけて演じられたあのシーンは「おじいさんはお地蔵さんに笠をかぶせてあげました」という文さえあれば、一瞬で終わってしまう。あの独特な静けさは生まれない。
笠をかぶせられた六体の地蔵の絵をあの日の、あのシーンのしおりとし、ページを閉じる。
懇談では、上の子が頑張っていたこと、もう少しこうなったらいいねということを先生が話してくださる。本当に子どものことを大切にしてくださっていると感じ、楽しくうれしく、安心感に満ちたひとときだった。そして私は子どもたちと関わるのではなく、子どもたちを見守る人たちの温かさに触れているのが好きなのだなと気づいた。どこまでいっても傍観者。
「いやいや子どもたちと関わらないと、仕事には結びつかないよ」とこれまでなら考えていたと思う。けれども「子どもたちを見守る人たちの温かさに触れている(傍観者でいる)ことが好き」を認めて、そこから仕事に結びつけていかなければ、いつか無理がくると今なら分かる。
いろいろな人と関わることが増えたことで、自分が今どんな状況にあって、どんな場所に行こうとしているかがクリアになってきていてうれしい。
昨年は個人懇談から帰宅しこたつで寝転んでいたところ破水し、タクシーで産院へ行って、3時間後に下の子が生まれた。あれからもう1年。明日はお祝いだ。
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