昨日、近所の神社の節分祭へ上の子と訪れる。境内には大きな釜が二つあり、そこに蒸篭が何重にも重ねられていて、もうもうと湯気が立つ様は景気がよく自然と厄も落ちてゆくようだった。
つきたてのお餅が入ったぜんざいは甘くて舌に優しかった。上の子は餅を箸で引っ張って、漫画のようなお餅が伸びる様を再現しようとしていた。さすがつきたてで、意外と再現できていた。
それから少しだけ餅つきをさせてもらい、境内の鯉に餌をやり、お参りしてから陶器市をふらふらと。お箸が並んでいるのを見た上の子が「箸買わなくていいの?」と言う。私の箸が折れて、仮の箸を使っていることを覚えていたらしい。私はといえば、それが仮の箸であることすら忘れかけていたというのに。
黄楊の箸を200円で買い「よく覚えてたね」と褒めると、上の子は「何をそんな大げさに」というような顔をしていた。そういえば私も小さい頃、なぜ母がそんなにも褒めているのか分からないと感じるときがあった。何をしたわけでもないのに。
そうかもう私はあのときの母になっているのだなと思う。上の子はもう5歳、大きくなっても覚えていることは多少あるだろう。今の私は「あのときの母」でもある。子育てする日々に新しいレイヤが差し込まれたような心地がする(すでに差し込まれていたのだけれども)。
そのあとハッピーセットが食べたいという上の子とマクドナルドへ行く。注文しようとすると「少々お待ちください」と女性の店員さんがやってきて、注文を受けようとしてくれていた男性の店員さんに「コーヒーが入ったときは砂糖とミルクがいるか聞いてください」というような注意をする。コーヒーを頼もうとしていた私は内心どきどきしながら聞いていた。コーヒーを注文すると男性の店員さんはすかさず「お砂糖とミルクはご入用ですか」と聞いてくれてホッとする。しかし要らないと返事するも、届いたトレイには砂糖とフレッシュが載っていた。
いつもなら届いた時点で「使わないので」と返すが、またあの男性の店員さんが怒られたら嫌だなと思い、ミルクコーヒーにして飲んだ。
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