風をあつめて

上の子と一緒に川べりを歩く。透明の水が春の光を受けながら石の上を滑っていく様子がとても綺麗だったからスマホを向けたけれども、画面に映ったそれはただの川だった。写真に撮ってSNSにアップしてもいいねは一つもつかないだろう。

流れる水音。小石を落としたとき現れるいくつかの飛沫。その波紋。とても綺麗なのに、わたしのせいで綺麗ではなくなってしまう。そして綺麗ではないと決められてしまう。本当はとても綺麗なのに。

とびだせ絵本の最終回、長谷川義史さんは今と同じような季節に、わたしの目の前にあるのと同じような川を見て「ものすごい綺麗やわ〜」と言った。カメラは川を写し、音声は水音を拾っていた。それを見て私は今と同じようにとても綺麗だと思った。

本当と本当ではないをつなぐのは、あなたとわたしをつなぐのは、技術、「ものすごい綺麗やわ〜」という言葉。そしてその底には「ものすごい綺麗やわ〜」という心があるということ。