祖母の見舞いで帰省する。新卒の頃に住んでいた街を通り過ぎ、一度しか訪れたことのない街をいくつか通り過ぎ、高校生の頃まで住んでいた街へ。働くことに嫌気がさしていたあの頃、駅のホームで燃えるような夕焼けをみたこと。音楽が頼りだったこと。CDを借りにいっていたツタヤは前見たときは電化製品やさんになっていたが、今はジムに変わっていた。はじめ、車窓からはいろんな街の園児たちが見えた。先生に連れられてホームで電車を待っていたり、乗っていたり、プールに入っていたり。そのうち住宅の数は少なくなっていき、閉校した母校が見えてきた。プールは濃く深い緑色に濁っていた。今までの自分を客観視する。久しぶりの一人の時間だった。
街に着いてから地元名物の焼きうどん屋で昼食をとる。名物と言ったもののはじめて食べたのは街を離れてからだったし、食べるのも今日で三度目だった。80歳は超しているであろうお客がまあまあいたり、テイクアウトに鍋を持ってくる若い女性がいたり。異文化と思ったけれど、かつてはこれが当たり前だった。観光客だと思われたのだろう、私は主人が目の前で調理してくれる中央の鉄板に案内された。主人が豪快にやかんで出汁をふりかけると、ジューと大きな音とともに湯気がうわっと立ち昇る。もうここは私の住む街ではない。大きな大きな鉄板を前にして、私はすっかりよそ者になってしまったと思った。
母との待ち合わせの時間まで高校生の頃に通っていた図書館で『アボカドの種』を読む。席の前の窓からは臨時休業中の喫茶店の駐車場で自転車を乗り回す中学生が見えた。
病院の屋根の下にはツバメの巣がいくつもあって、親ツバメが餌を運んでいた。祖母はもう話すことができなかったが、私と母が声をかけると瞼を開き問いかけに頷いていた。幼い頃見た曽祖母とその姿が重なる。何をしても人間みな最後はこうなるのだ。
帰りの電車の中では何もしなかった。けれども嫌な考えが入り込んでくることもなかった。苦しい時はやがて過ぎる。距離と時間を旅するたび、私は私の物語の主人公でありこの街はその舞台ではあるが、私の隣の人は隣の人の物語の主人公であり、舞台もまた別の街であると実感する。三宮駅地下のフードコートでお寿司を食べながら少し泣いた。
祖母はまだ大丈夫そうだったので、今週末のイベントには多分参加できると思う。どうなるか分からなかったので宣伝もできておらず主催の方に申し訳ない。そういえば文フリ大阪の出店料をゆうちょダイレクトで入金したつもりだったのが、操作ミスなのかできていなかったらしく出店取消のメールが来ていた。残念と思うと同時に、ほっとした。今回のイベントに向けてあれこれ準備もしたが楽しさより苦しさの方が大きかった。楽しくて創作してるんじゃないっけと何度も思った。こうして毎日日記を書き、歌を詠むことはやっていて自然だが、イベントは楽しい分労力もかかる。下の子がある程度大きくなるまではイベント出店以外の方法をいろいろ試してみようと思う。
わたしではない子たちが遊んでいるわたしの街だった街で

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