長田弘さんの『深呼吸の必要』を読みながら、まだガラケーすら持っていなかった中学生の頃、とある子とパソコンでメールのやりとりをしていたことを思い出す。毎日交互に出していたメールはいったいいつ、どちらから出さなくなったのだろう。
そうしてメールを書いていた自分と今の自分にさして変わりはないのに、ここにいるのはメールを書いていない自分だということ。メールのやりとりをしていたとある子はどこで何をしているのか知らないということ。そしてそれを悲しみも寂しがりもせず、不思議なことだなあとぼんやり考えていること。ああこれがわたしの「一人の大人になったとき」なのだと思う。
大人になったときなどなく、気づいたら大人になっている。そう思っていたけれども忘れているだけできっとある。「あのときかもしれない」と思う瞬間が。
解説で小川洋子さんがおっしゃっているように、そうして自身の「一人の大人になったとき」が自然と思い出される詩集だった。
“どの場面にも、ない、という打ち消しの言葉が目立つ。微かな痛みを伴う欠落の瞬間がすくい上げられている。子どもからおとなになるとはつまり、小さいものが大きくなるのだから、どんどん何かが付け加えられてゆくべきだと思うのに、不思議だ。実際はどうもその逆らしい。何者かに授けられた数々の宝石を、人はおとなになる途中で置き去りにしているのだ。”P121

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